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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)11493号 判決 1983年2月28日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 石田省三郎

同 羽柴駿

同 近藤彰子

被告 学校法人慈恵大学

右代表者理事 名取禮二

右訴訟代理人弁護士 大塚伸

同 明念泰子

同 片山和英

同 高橋明雄

右高橋明雄訴訟復代理人弁護士 大塚明良

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告は被告に対し労働契約上の地位を有することを確認する。

2  被告は原告に対し金三四七万五五五〇円及びこれに対する昭和五二年三月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員並びに昭和五一年一二月一日以降本裁判確定に至るまで毎月二五日限り各金一〇万三一〇〇円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第二項につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1(一)  原告(昭和二九年二月一〇日生)は、昭和四七年三月○○女子高校を卒業後、同年四月、被告の経営する東京慈恵会医科大学附属病院青戸分院の准看護婦として雇用され、同時に、同分院外科病棟に配属、その後同四八年一〇月同分院小児科外来に配転され、以来同外来でその業務に従事していたものである。

(二) 被告(以下「被告大学」ともいう。)は、私立学校法に基づいて設立された学校法人であり、東京慈恵会医科大学、慈恵青戸高等看護学院等を設置するほか、同大学附属病院、同青戸分院、同第三分院等を経営している。

右青戸分院(以下「青戸分院」という。)は、東京都葛飾区青戸六丁目四一番二号に所在し、小児科のほか、外科、内科、整形外科等を設置する総合病院である。

2(一)  原告の勤務していた当時の小児科外来は、わずか二五平方メートル程の小部屋に所狭しとベッド、机、いす等が並べられて外来患者が受診中は足のふみ場もない程であり、原告は採光の悪い薄暗い部屋の中で多量の書字作業に取り組まされた。

小児科外来の部屋は大きく二分され、一方は診察室、他方は処置室となっている。原告が発病した当時の人員配置は、受付に看護助手の丸川綾子(以下「丸川」という。)、看護学生(午前中の半日勤務)、パートの事務員(同)の三名がおり、診察室には医師二名とそれを介助する看護婦山口喜美子(以下「山口」という。)、原告の計四名がおり(ただし、欠員のため山口が受付に回ることが多く、その場合は原告が一人で二名の医師の介助をした。)、処置室には看護婦の西谷よし子(以下「西谷」という。)がいた。このほか、全体に目を配る主任看護婦の坂井志づ子(以下「坂井主任」という。)がいた。このように、欠員がない場合には医師二名、看護婦その他七名の合計九名が小児科外来に勤務して多数の患者に応待していた。

小児科外来の受付時間は、日曜日を除く毎日午前八時三〇分から同一一時三〇分までで、この間に受付けた患者の診療が午前九時から昼過ぎまでかかり、午後は整理と翌日の準備作業にあてられる。なお、毎週水曜日は通常の小児科外来に加えて腎臓外来が開かれるので、業務量が二ないし三割増加して特に多忙を極めた。

(二)(1) 業務を中心とした原告の一日の生活

(イ) 原告は通常は、午前七時に起床して朝食をとり、同七時四五分に自室を出て日暮里駅まで徒歩八分、そこから京成電車にて青砥駅まで一五分、同駅から病院まで徒歩一〇分というコースで出勤し、病院に着くのは同八時二〇分ころで、着換えをして同八時二五分から勤務についた。遅刻したことは一度もなかった。

(ロ) 外来受付開始の午前八時三〇分から診察が始まる同九時までは、部屋の掃除、器具の消毒、カルテの出し入れと整理を行う。重いカルテの束の出し入れは非常に腕力を使う作業であった。

(ハ) 午前九時から診察が始まり、診察室にて立ったままで医師の診察介助と検査用紙等への書字作業に専念する。診察室には看護婦用のいすはなく立ったままの勤務が強いられる。多忙のためたとえ座ろうとしてもその暇もない。このようにして、座ることはもちろん便所に行く暇もない程の激務が午後一時近くまで約四時間続く。

(ニ) 昼休みは一時間の建前であるが、多忙なため実際には切りつめられ、昼食をとるだけという事実上昼休みがないことも週一ないし二回はある。なお、原告は他の者が昼休みをとった後、交代して昼休みをとることになっているので、いつも午後一時過ぎでないと休めない。

(ホ) 昼休み後から午後四時三〇分までが午後の勤務であり、この間は午前中診察した患者のカルテ整理、名簿記入等の整理作業と、翌日使用する検査用紙やエックス線用紙等に必要事項を記入するなどの準備作業が中心である。このほか、月末にはカルテに病名を記入する作業、点滴患者がいる場合にはその観察などを行うこともある。

(ヘ) 午後四時三〇分に勤務が終わると帰宅する。小児科外来勤務となってからは過労と自覚症状のため自炊する気力がなく、夕食は外食となることが多かった。

なお、原告は昭和四八年四月に明治学院大学第二部社会学科に入学して通学していたが、小児科外来勤務となってからは疲労が激しく、殆んど出席できないような状態であり、同四九年九月以降はやむを得ず休学している。

夜は、午後一二時前には必ず就寝するよう心がけ、睡眠時間を多くとろうとしたが、夜中に足がひきつり眠れないこともしばしばであった。

(2) 当直の際の業務内容

救急室の当直が毎月二ないし三回あり、当直者は三名である。当直の場合は午前八時三〇分からの通常勤務を午後四時三〇分に終え、三〇分の休みの後午後五時から当直勤務に入り、翌朝九時まで勤務につく。この間緊急手術のため一睡もできないこともある。その後ひき続き通常勤務に入り、午後一時まで勤務して終了となる。その翌日からはまた午前八時三〇分から午後四時三〇分までの通常勤務が続く。

(3) 業務の具体的内容

(イ) 午前中の業務の中心となっている書字作業

医師の指示に基づきボールペンで必要事項を記載することであるが、書類を机(高さ七〇センチメートル前後)の上に置いて立ったまま記載するので、どうしても中腰前傾姿勢とならざるをえない。左記のように目の回るような忙しさで診察中は片時もボールペンを離すことができない。

(ⅰ) 処方箋

処方箋は、受付にて来院患者数だけ発行され、診察の結果処方の必要な場合、医師により処方内容が記入される。その枚数は一日平均約八三枚であった。受付で記入する箇所は、切り取り部分と中央の氏名欄の氏名(八字)、左側氏名欄に姓のみ(二字)、生年月日(五字)と、保険の種別等の○印(四か所)であり、診察室では書類発行枚数欄三か所程度に数字を記入する。

そのほか、てんかん等の慢性疾患の場合には、診察室で新たに一枚の処方箋を発行し、診察室の看護要員が受付と同じ要領で氏名等を記入する。これが一日約二〇枚発行された。

原告は、受付の処方箋書字作業を手伝っていた。

(ⅱ) 検査依頼伝票

三枚複写で、氏名欄(四字)、提出医欄(二字)、発行年月日(五字)等のほか、六ないし一〇か所に○印を記入する。一日に通常三〇組、多い時で七〇組の伝票が出された。

(ⅲ) エックス線依頼伝票

二枚複写で、氏名欄(四字)、生年月日及び年令(六字)、依頼日(五字)、「児」及び依頼医師名(二字)、撮影部位(四字)のほか、四か所に○印を記入する。この伝票は一日で通常五組、多い時で七組くらい出された。

(ⅳ) 二号用紙

医師が処方箋に記載した処方を摘要欄に転記し、裏に「くすり」と投薬日数(四字)を記入する。これは一日に通常七〇枚くらい、多い時で九〇枚くらいだった。

以上(ⅱ)ないし(ⅳ)の作業は、診察中、原告と訴外山口喜美子の二人で行っていた。

(ロ) 書字作業と平行して行われる診察介助は、患者の脱衣、着衣の手伝い、診察中に患者が動かないよう顔や手足を押さえつけていること、採血・点滴の介助、呼出し等のほか、待機中の患者を絶えず監視していなければならないなどあらゆる面に及ぶ。患者が児童なのでいやがって暴れるのを無理矢理押さえつけたり、抱き上げたりしなければならず、相当な腕力・体力を必要とする。

(ハ) 午後の作業

(ⅰ) 新患名簿への記入

いすに座って万年筆で、住所(一五字ないし二〇字)、氏名(四字)、生年月日(五字)、初診年月日(五字)、病名(八字)を記入する。新患は一日平均一七名で、この作業を毎日原告又は山口が行っていた。

(ⅱ) エックス線袋書きとノート記入

患者ごとのエックス線フイルムを収納する紙袋の表にマジックインキで記入する作業で、毎日全員で行う。当該患者の一回目のエックス線検査の場合は、エックス線番号(六字)、氏名(四字)、生年月日(五字)、撮影年月日(五字)、撮影部位(二字)、枚数(一字)及び一か所に○印を記入し、二回目以後は、撮影年月日、撮影部位、枚数を記入する。これと同時に、エックス線検査を記録するノートに、エックス線番号、氏名、生年月日、撮影年月日、部位を記入する。エックス線検査は一日平均約七名であった。

(ⅲ) ほかに翌日使用する伝票の押印や記入等の準備作業がある。

(ニ) 月末の書字作業

月末には、原告と山口、坂井主任の三名で、通院中の全患者のカルテと二号用紙に、それぞれ病名(各八字)を記入又は押印(押印は約半数)し、当該年月(四字)を記入する。この作業は、月末の四、五日間、床に立膝の姿勢のままボールペンで記入する。

(ホ) 以上のほかに、電話の取り次ぎ(特に午前中に集中)、身長・体重測定、日付印の押印、検査用紙の切り取り整理をすること等が原告の具体的業務である。

(4) 業務の特徴

(イ) 書字作業、特にボールペン書きが非常に多い。午前中だけで平均八〇ないし一二〇組、午後も五〇ないし一〇〇組の書類に必要事項を記入する。

(ロ) 腕や肩の力を使う。ボールペン書きはただでさえ力がいるのに、書類が複写式のものが多いので特に力を入れて書かなければならないし、高い棚からのカルテの束の出し入れ、患者の扱いにも相当な力を必要とする。

(ハ) 中腰前傾姿勢をとる時間が長い。特に午前中はその姿勢で書字作業を続けているといっても過言ではなく、書字作業以外でも小さな子どもを相手にするのでその姿勢が多くなる。

(ニ) 業務量が過多である。毎日少なくとも七〇ないし八〇名、年末などの多忙期には一五〇名にも達する患者をわずか三ないし四時間で診察してしまわなければならないので、定員九名がそろっていても非常な忙しさである。そのために昼休みも正常にとれないほどである。

(ホ) 欠員が多い。

まともに定員がそろっていても忙しいのに、小児科外来はしばしば欠員が生じ、しかも補充は全くなかった。具体的には、昭和四八年一二月二五日から同四九年五月二五日までパート事務員一名が欠員となり、また、同年五月七日から六月四日まで坂井主任が研修に出て欠員となった。さらに、同年九月一二日からは受付の丸川が業務上の頸肩腕症候群により休業を余儀なくされて欠員となった。特に、パート事務員欠員の約半年間はその穴埋めに診察室の看護婦一名が交代で受付に回され、そのため午前中の診察室での看護婦業務全てが一人の負担とされた。

(ヘ) 業務量の変動が激しい。

原告の業務量は一般的に過多であるだけでなく、一日ごとの変動が非常に激しく、特に毎週水曜日(腎臓外来のある日)とか学校休暇中等がピークとなる。

(ト) 労働環境が劣悪である。

薄暗くて狭小なスペースに多勢の患者、付添人らがつめこまれて足の踏場もなく、泣き声と騒音で呼出しの声も聞きとれないほどである。

(チ) 労務管理が厳しい。

生理休暇をまともにとることを嫌がられ、しかも原告が労働組合の役員をしていたため、坂井主任からことあるごとにつらく当たられた。

(リ) 小児科特有の疲労がある。

相手が子どもなので大人の患者とは違って始終気を配っていなければならず、非常に神経を使う。

3  原告における「頸肩腕症候群」の発病

(一) 発病に至る経緯

(1) 原告は生来極めて健康で、中学時代は体操クラブに入り県新人戦で二位に入賞するなどして活躍し、虫垂炎の手術を除いて病気一つせずに過ごし、○○女子高校入学後も二年間生徒会長をつとめるなど良好な健康状態であった。

(2)(イ) 原告は、被告に、昭和四七年四月に雇用されて青戸分院外科病棟に配属された時は、健康状態にも異状はなかったのであるが、同四八年一〇月、同小児科外来に配属となり、外科病棟においては行わなかった前述のような作業を開始してから、しだいに肩のこり、首の痛み、腕のだるさ等を自覚し始めた。

(ロ) 同年一二月二五日より翌四九年五月二五日まで、主として受付を担当していた事務パート一名が欠員となり、そのまま補充されなかったので、右の期間中、診察介助を主たる業務としていた原告ほか一名が交代で受付の業務を手伝い、このため医師二名の診察介助を一名で行う状態が続いた。これに加えて、昭和四八年一二月下旬から翌四九年一月上旬にかけて患者数が一二〇名から一六〇名という日が続いたため、原告は、全身特に肩腕の筋肉の疲労を感じ、このころには昭和四八年四月より通学していた明治学院大学二部社会学科の授業に殆んど出席できなかった。

(ハ) 右の欠員状態が続いたまま、昭和四九年四月末から翌五月上旬にかけて連日一〇〇名を越える患者が来院し(ちなみに五月の一日平均患者数は約八〇名である。)、同月七日から約一か月間、研修のため坂井主任が欠けた状態で外来診察看護業務が続けられた。このころ、原告は全身疲労、頭痛等従前からの不快感に加えて右腕の脱力感を自覚し、手先に力が入らず正確に処方箋の押印ができないなど日常の看護業務に支障をきたし始めた。

(ニ) 昭和四九年九月、受付・採血介助等を担当していた看護助手一人が「頸肩腕症候群」に罹患して長期療養に入り、欠員が補充されないまま一日平均患者数が同月約八五名、翌一〇月約九六名と漸増し、受付の手伝い、診察介助、書字作業と原告の作業量は激増し、従前の症状は増悪し、加えて肩、背中の痛みを自覚するようになり、同年一〇月中旬ころになると、右肘関節付近が痛み疼痛のため不眠となり、一〇分以上の書字、三分以上の受話器の支持が不能となる等症状が悪化し、同月二五日より休業を余儀なくされた。

(二) 発病と業務との関連性

原告は、外科病棟勤務期間中は全く健康であったが、小児科外来に配転となって外科病棟では行わなかった受付・書字作業等主として上肢を使用する業務に従事するようになってからは、肩・背中・肘の疼痛、腕の知覚異常の症状を自覚するようになり、看護婦の欠員、患者数の増加等による業務の増加に伴い、症状が増悪している。以上のように、原告の右発病は青戸分院小児科外来における看護業務と関連した業務上の疾病である。

(三) 診断

原告は、昭和四九年一二月四日、柳原病院で受診したところ「頸肩腕症候群」と診断され、さらに、同月一七日、東京大学医学部附属病院物療内科で受診し検査を受けたところ、原告には、頸椎棘突起圧痛、肩・背・前腕の筋群に圧痛、特に肩背部で筋硬結、圧痛、右上半身に広範な表在知覚低下、右大後頭神経圧痛の症状があることが判明し、「頸肩腕症候群」に罹患していることが明らかになった。

(四) その後原告は右東大病院に通院して各種治療に努めたが症状はなかなか好転せず、ようやく昭和五〇年八月に至ってリハビリテーション訓練として職場に復帰して半日勤務につくよう主治医の吉田医師より指示される程度まで回復していた。

しかし、原告の度重なる職場復帰要請にもかかわらず、被告はこれを拒み続けて現在に至っており、そのため原告は訓練的就労の場を得ることができず回復が遅れた。

4  看護業務における「頸肩腕症候群」の発生状況

青戸分院小児科外来においては、原告の発病とほぼ時を同じくした昭和四九年九月、受付及び採血介助その他付随業務を行っていた看護助手一名が「頸肩腕症候群」に、被告本院内科外来において、同年六月、医療事務員一名が「頸肩腕症候群」に、被告第三分院小児科において、看護婦一名が「健鞘炎」にいずれも罹患している。

また、東京慈恵会医科大学労働組合青戸支部の調査によれば、青戸分院に働く看護職の約六〇パーセントが肩こり、痛みを訴え、小児科外来に従事する者はいずれも右腕の痛み、だるさを自覚しているなどから明らかなように、被告の病院に限っても頸肩腕症候群の潜在的患者は多数存在していると考えられ、原告の場合も決して特異な例ではない。

5(一)  原告は、右疾病に罹患したため、昭和四九年一〇月二五日以降、右療養のため休業した。

ところが、被告は、原告の右疾病を業務上疾病と認めず、療養のための休業の期間のうち、昭和四九年一一月一日から同五〇年一月三一日までを長期欠勤に、同年二月一日から翌五一年一〇月三一日までを業務外疾病による療養休職として扱ったうえ、右休職期間の経過により原告が退職となったものとした。

(二) しかし、右退職の扱いは、原告の前記休業を業務上疾病による休業としなければならないにもかかわらず、誤ってこれを業務外疾病による療養休職として取り扱い、これを前提としてなされたものであるから、労働基準法一九条の趣旨に違反し無効である。

6(一)  使用者たる被告は、労働安全衛生法、労働基準法等の趣旨に基づき、その雇用する労働者の健康と安全のために適切な措置を講じ、業務上疾病の発生ないしその増悪を防止すべき注意義務を負っている。

そして、被告には、この安全保護義務の内容として業務上疾病の予防に向けた安全衛生管理、すなわち労働環境設備の改善、書字作業の改善、人員配置の適正化等の措置を講ずべき義務があったのにそのような措置をとらなかったため、原告を頸肩腕症候群に罹患させてしまったものである。さらに被告は、原告からの業務上疾病の訴えになんら耳をかすことなく労働を継続させたうえ、原告が、右疾病の療養のための休業を余儀なくさせられると、これを業務外疾病休職として取り扱ったうえ、原告の職員としての地位を剥奪してしまったのである。

(二) 慰謝料

原告は、これにより極めて多大な精神的損害を被ったものであるところ、これは原被告間の労働契約に内在する本質的義務である安全保護義務を怠った結果生じた損害なのであるから、被告は原告に対し右損害を賠償する義務がある。そして、原告の業務従事期間、業務内容、疾病の内容、被告の原告に対する対応等諸般の事情を考慮すると、右苦痛に対する慰謝料の額は金二〇〇万円が相当である。

(三) 未払賃金

原告が昭和五〇年二月一日以降同年七月三一日までの間、被告において就労し得なかったのは、前述のように被告の原告に対する安全保護義務を怠った結果であり、また、同年八月一日以降、原告は被告に対し労務の提供を行ったのに被告は原告の就労を拒否したのであるから、民法五三六条二項に基づき、被告は原告に対し、別紙賃金等明細表記載③の未払賃金合計金一四七万五五五〇円を支払う義務がある。

(四) 未払休業補償金(予備的主張)

仮に、原告の疾病が被告の安全保護義務違反の結果生じたものではなく、したがって、右未払賃金合計金一四七万五五五〇円のうち、原告の療養期間中であった昭和五〇年二月一日から同年七月三一日までの間の未払賃金合計金二二万七三五〇円についてはこれを請求し得ないとしても、原告の本件疾病は業務に起因するものであるから、右療養期間中、被告は原告に対し、別紙賃金等明細表記載④の未払休業補償金合計金三万四七五〇円を支払う義務がある。

7  さらに、被告は原告に対し、雇用契約に基づき、同五一年一二月一日以降本裁判確定に至るまで、賃金の支払日である毎月二五日限り月額金一〇万三一〇〇円の賃金を支払う義務がある。

8  よって、原告は被告に対し、労働契約上の地位を有していることの確認を求めるとともに、請求の原因6(二)記載の慰謝料、同6(三)記載の未払賃金の合計額金三四七万五五五〇円(仮に右未払賃金のうち、昭和五〇年二月一日から同年七月三一日までの間に相当する合計金二二万七三五〇円の支払請求が容れられないとすれば、その間の同6(四)記載の未払休業補償金三万四七五〇円)及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である同五二年三月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金並びに同五一年一二月一日以降本裁判確定に至るまで毎月二五日限り月額金一〇万三一〇〇円の割合による賃金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2(一)  請求の原因2(一)の事実中、昭和四九年ころの小児科外来の人員は医師二名のほか、主任看護婦坂井志づ子、看護婦西谷よし子、准看護婦山口喜美子及び原告、看護助手丸川綾子、看護学生、パートの事務員の合計九名が配置されていたこと、小児科外来の受付時間、患者の診察時間、午後の仕事内容が原告主張のとおりであることは認め、その余の事実は否認する。

(二)(1)(イ) 同2(二)(1)(イ)の事実は不知。

(ロ) 同2(二)(1)(ロ)の事実は否認する。

部屋の掃除は、前日専門の掃除婦が床面その他の掃除を済ませていて、当日の朝は午前八時に出勤した看護助手が机の上を拭くくらいである。また、小児科外来で消毒する器具は舌圧子入くらいであり、この場合も処置室で主に処置室にいる看護助手がこれを行っていて、主に診察室担当の原告がこれを行うことは殆んどない。さらに、カルテ棚からカルテを出すのは、主に受付がこれを行い、カルテの整理及びこれの収納は、午後に看護要員が全員で行っており、原告は右の全員で行うカルテの整理、収納にその一員として加わっているにすぎない。

(ハ) 同2(二)(1)(ハ)の事実中、午前九時から診療が始まり、診察室に看護婦用のいすがなく、立ったままで医師の診察介助、検査用紙等への書字その他の作業を行う(書字作業に専念するわけではない)ことは認めるが、その余の事実は否認する。

本来看護婦の仕事は医師の診察介助その他座っていてはできない仕事であり、また、書字もいちいち座って書くほどの量ではなく、立ったまま書き入れた方が速いので、殆んど立ったままで仕事をすることが多く、これはそもそも看護婦業務という仕事自体がそうなっているのである。また、診察室では、患者が朝九時から正午過ぎまで絶え間なく受診しているわけではなく、とぎれることもままあり、また診察担当医も電話その他の所用で席を立つこともあり、かような時には診察室のベッド等に腰をかけたりして一時休息することもできる。

(ニ) 同2(二)(1)(ニ)の事実は否認する。

(ホ) 同2(二)(1)(ホ)の事実中、月末の作業としてカルテに病名を記入する作業があることは否認し、その余の事実は認める。

月末の作業としては、カルテではなく二号用紙に病名を記入する作業がある。

(ヘ) 同2(二)(1)(ヘ)の事実は不知。

(2) 請求の原因2(二)(2)の事実は認める。

ただし、救急室当直勤務は、救急患者の来院がある場合に作業が始まるのであって、それまでは待機しているのであり、当直勤務に入ったといっても直ちに具体的な作業を開始するわけではない。そして、救急患者がある場合も、当直看護要員全員が直ちに診療介助等の作業につくのではなく、その時の状態に応じて当直者のうち適宜交替で作業を担当する。また、原告が小児科外来勤務時間を通じて担当した緊急手術は一回だけである。

(3)(イ) 請求の原因2(3)(イ)の事実中、原告の午前中の業務の中心となっているのが書字作業であること、書字作業は目の回るような忙しさで診察中は片時もボールペンを離せないこと、午前中に二号用紙に記載する作業があること、原告が受付の処方箋書字作業を手伝っていたこと、検査依頼伝票、エックス線依頼伝票及び二号用紙の書字作業を原告と山口の二人だけで行っていたことは、いずれも否認する。用紙の枚数は概ね原告主張のとおりである。

(ロ) 同2(二)(3)(ロ)の事実は否認する。

患者の脱着衣は母親が主に行うのでこれを補助的に介助する程度であり、また、診察中患者は母親が膝の上に乗せ、患者の腹の部分に両手を回して押さえているので、顔や手を押さえつける必要はなく、動かないように軽く押さえる程度である。また、採血、点滴等は処置室で行うので、主に西谷看護婦らの仕事であり、診察室の隣と処置室で待機中の患者は、受付の看護要員がみている。さらに、患者が暴れたりすることはあるが、これは注射等をする際にたまに暴れるのであって、処置室内でのことであり、主に西谷看護婦らの行う仕事であって、原告が手伝うことは殆んどない。また、「呼出し」は受付が行う業務であり、原告が行うのは診察室のとなりで待っている患者を診察室に呼び入れることである。

(ハ)(ⅰ) 2(二)(3)(ハ)(ⅰ)の事実中、午後の作業としていすに座って万年筆で新患名簿に記入する作業があることは認める。

(ⅱ) 同2(二)(3)(ハ)(ⅱ)(ⅲ)の事実は認める。

(ニ) 同2(二)(3)(ニ)の事実中、月末の作業として二号用紙に病名を記入又は押印(押印は約半数)する作業があることは認め、カルテに病名を記入する作業があること、前記月末の作業を、月末の四、五日間、床に立膝の姿勢で行うことは否認する。

(ホ) 同2(二)(3)(ホ)の事実は否認する。

電話の取り次ぎ、処方箋、カルテ等への日付印の押印は受付が担当し、身長、体重測定は処置室の看護婦が行い、検査用紙の切り取り整理は全員が行う。

(4)(イ) 請求の原因2(二)(4)(イ)の事実は否認する。

原告の書字作業の量は、一日平均六〇〇字程度である。

(ロ) 同2(二)(4)(ロ)の事実は否認する。

手書きの量は右(イ)の程度であって、他の科の外来診療担当の看護婦と比べても、また、一般の事務を担当する会社従業員と比べても、少ないということはあっても、多いことはない。また、カルテ棚からのカルテの取り出しは受付の仕事であり、患者の扱いに力がいるのは処置室の仕事である。

(ハ) 同2(二)(4)(ハ)の事実は否認する。

(ニ) 同2(二)(4)(ニ)の事実中、毎日の患者数の平均が七〇ないし八〇名であることは認め、その余の事実は否認する。

昭和四八年から同四九年の年末年始で一日の患者数が一五〇名くらいになったのは、一二月二六日、二九日の二日のみで、患者の多い日は休日の前後の日であり、年末年始が毎日一〇〇名以上になっていたのではない。

(ホ) 同2(二)(4)(ホ)の事実中、昭和四八年一二月二五日ころから翌年五月一八日ころまでパートの事務員が欠員となり、同年五月七日から六月四日まで坂井主任が研修のため出張したこと、同年九月一三日から丸川が病欠したことは認めるが、その余の事実は否認する。

パート事務員欠員の約五か月間は、受付は丸川、看護学生の武田美枝子又は本多久美子らのほか、西谷、坂井主任が処置室、診察室との仕事のバランスをみながら適宜交代で担当し、また、坂井主任の出張中あるいはその他特に忙しい時には、疋田外来婦長あるいは中央材料室、手術室等より看護要員が随時応援に来ており、原告や山口はたまたま受付等を手伝ったことがあった程度であり、診察室には大体二ないし三名の看護要員が常時いたのである。

なお、一人の看護要員が二人の医師の診察介助を行うことはさして難しいことではなく、一般に病院ではよく行われていることであり、仮に、まれに原告がこれを行ったとしても、原告が主張するような大げさなことではない。

(ヘ) 同2(二)(4)(ヘ)の事実は否認する。

ただし、診察担当の医師により、あるいは、特殊外来等の日、休日の前後等の事情により、患者数が増減することはあるが、これによる業務量の増減は、病院に勤務する者全員の問題であり、原告一人の問題ではない。

(ト) 同2(二)(4)(ト)の事実は否認する。

小児科においては、患者である小児が単独で来院することはなく、母親、小児の兄弟(乳飲み子の場合も)等が一緒に来院するのが常であるから、泣き声、騒音等があるのはどこの病院でもあることであり、被告の病院だけの問題ではない。

(チ) 同2(二)(4)(チ)の事実は否認する。

(リ) 同2(二)(4)(リ)の事実は否認する。

殆んどは母親が付添っており、「非常に神経を使う」ような仕事ではない。

3(一)(1) 請求の原因3(一)(1)の事実は不知。

(2)(イ) 同3(一)(2)(イ)の事実は否認する。

(ロ) 同3(一)(2)(ロ)の事実中、原告の通学関係は不知、その余の事実は否認する。

(ハ) 同3(一)(2)(ハ)の事実中、昭和四九年五月の一日平均患者数が約八〇名であることは認め、その余の事実は否認する。

(ニ) 同3(一)(2)(ニ)の事実中、丸川看護助手が昭和四九年九月から病欠したこと、一日平均患者数は同月が約八五名、同年一〇月が約九六名であったことは認め、従前の症状が増悪し、加えて肩、背中の痛みを自覚するようになり、同月中旬ころになると、右肘関節付近が痛み疼痛のため不眠となり、一〇分以上の書字、三分以上の受話器の支持が不能となる等症状が悪化し、同月二五日より休業を余儀なくされたことは不知、その余の事実は否認する。

(二) 同3(二)の事実は否認する。

(三) 同3(三)の事実は不知。

(四) 同3(四)の事実中、吉田医師がリハビリ復帰の指示をしたこと、被告大学が原告の職場復帰を認めなかったことは認め、その余の事実は不知または否認する。

4  請求の原因4の事実中、被告大学労働組合青戸支部のアンケート調査によれば、青戸分院の看護要員の約六〇パーセントが肩こり、痛みを訴えている旨のアンケート結果があることは認め、その余の事実は否認する。

5(一)  請求の原因5(一)の事実中、原告が業務上の頸肩腕症候群に罹患したことは否認し、その余の事実は認める。ただし、昭和四九年一一月一日から同五〇年一月三一日までを「長期欠勤」としているが、病欠である。

(二) 同5(二)の事実は否認する。

6(一)  請求の原因6(一)の事実中、使用者たる被告が、その雇用する労働者の健康と安全のために適切な措置を講じ、業務上疾病の発生ないしその増悪を防止すべき注意義務を負っていることは認め、その余の事実は否認する。

(二) 同6(二)は争う。

(三) 同6(三)の事実中、被告が原告の就労を拒否したことは認め、その余は否認する。

(四) 同6(四)の事実は否認する。

7  同7の事実は否認する。

三  被告の主張

(地位確認請求について)

1 被告の就業規則(以下「規則」という。)には次のような規定がある。

二一条(療養休職) 教職員の傷病による欠勤が、欠勤開始の翌月より引続き次の期間を超えたとき、療養休職とする。

1 省略

2 勤続一年以上三年未満の者 三か月

3 省略

4 省略

二三条二項(休職期間) 療養休職の期間は次の通りとする。

(1) 省略

(2) 二一条二項の者 二一か月

(3) 省略

二八条(一般退職) 教職員が次の各項の一に該当したときは、その日を退職の日とし、教職員としての身分を失う。

1 省略

2 省略

3 省略

4 省略

5 業務外傷病による休職期間が満了して、休職事由が消滅しないとき

2(一) 原告は疾病にかかったことにより、昭和四九年一〇月二五日以降欠勤した。被告は規則二一条二項により、同五〇年二月一日から原告を療養休職とした。

(二) 被告は、規則二三条二項二号に定める休職期間が満了したことを理由として、規則二八条五号により、同五一年一〇月三一日限り、原告を退職とした。

3 原告の疾病が業務外の傷病であることは、次のことにより明らかである。

(一) 原告の担当していた小児科外来での仕事の内容及び量は以下のとおりであって、「頸肩腕症候群」の原因となるようなものではない。

(1) 手書き作業

(イ) 毎日の作業

(ⅰ) 処方箋

処方箋に患者氏名等を記入するのは受付の仕事であり、原告はこれを行うことは殆んどなかった。

(ⅱ) 検査依頼伝票

検査依頼伝票は検査種目別用紙に色分けされ、検査項目の指示は○印によって行われる。したがって、ここでは氏名(四字)とほかに発行年月日(五桁)となる。一日平均枚数五七枚を坂井主任、原告、山口の三人で書きこみしたとすると、一人一日平均一七一字となる。

(ⅲ) エックス線依頼伝票

ここでは、患者氏名(四字)、発行年月日(五桁)、撮影部位(平均三字)の記入業務があり、一日平均枚数七枚を診察室の原告ら三人で担当するから、一人一日平均二七・六字となる。

(ⅳ) 二号用紙

これは毎日主として午後の作業としてカルテより転記する。取扱件数は患者数と同じ一日八〇枚ないし九〇枚で、転記の内容は左のとおりであるが、一枚平均二〇字程度であるので、五人で行うとして一人平均三六〇字、看護婦(坂井、西谷)、准看護婦(原告、山口)の四人で行うとして、一人一日平均四二五字となる。

① 受診年月日記入(ゴム印使用)

② 投薬内容記入(投薬のある場合のみ)

初回は処方内容を転記するが、二度目からは同じ内容であればチェックするのみである。

③ その他、処置、注射等があれば②と同様である。

(ⅴ) したがって、原告の一日の平均書きこみ量は約六二三字である。

(ロ) 月末の作業(二号用紙への病名記入)

月間枚数約九〇〇枚ないし一〇〇〇枚で、病名は平均八字以内で、総枚数の約半分はゴム印の捺印作業であり、手書き作業は二分の一の四五〇枚ないし五〇〇枚となる。これを五人で行うから、月末の二日ないし三日の間に一人当り七二〇字から八〇〇字を書きこむ。

(2) その他の作業

(イ) カルテの出し入れ

カルテ出しは受付が、収納は坂井主任あるいは西谷が主として行うので、原告は殆んど行わない。

(ロ) 診察介助

医師の側面に位置し、医師が診察し易いように患者の体位を変換したり、口腔検査時に頭部を固定したり、診療器具を補充する等のほか、医師の指示に直ちに応ぜられるよう待機していることである。一日の取扱い患者数は八〇名ないし九〇名であるから、原告の取扱い数は平均二七名ないし三〇名である。

(ハ) 採血、ルンバール、身長、体重測定、点滴、胃洗浄、注射はいずれも処置室の仕事で、原告は殆んど担当しない。

(ニ) 脱衣着衣の手伝いはたまに行う。

(ホ) 貼付作業

二号用紙に会計票を、カルテに検査成績表をそれぞれ貼付する仕事で、午後全員で行う。

(ヘ) レントゲンフイルム整理

一日七名分くらいを、午後全員で行う。

(ト) 電話取り次ぎ、脳波予約、室内の整理整頓等の雑務は、受付係、看護助手らが手伝う。

(二) 原告の小児科外来における作業の特徴

昭和五〇年二月五日付通達(基発第五号)「キーパンチャー等上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」の解説七(1)「作業態様」によれば、上肢の「動的筋労作」とは、カードせん孔機・会計機の操作、電話交換の業務、速記の業務のように、主として手、指のくり返し作業をいい、また「静的筋労作」とは、ベルトコンベヤーを使用して行う調整、検査作業のように、ほぼ持続的に主として上肢を前方あるいは側方挙上位に空間に保持するとか、顕微鏡使用による作業のように頸部前屈等一定の頭位保持を必要とするような作業をいい、手、指をくり返し使用しているか否かは問わないとされている。すなわち、「動的筋労作」にせよ「静的筋労作」にせよ、一定の作業、姿勢を相当の時間持続して行う場合を条件としている。

ところが、原告の小児科外来における作業は、患者の呼びこみ、診察の介助(患者の体位変換、口腔検査時の頭部固定、医師の指示に応ぜられるための待機)、必要に応じての検査依頼伝票等の書きこみ作業、たまの脱着衣の手伝い、たまの受付、処置室の手伝い等を適宜行うのであり、一定の仕事の「繰り返し作業」(上肢の動的筋労作)を行うのではないし、また「静的筋労作」を行っているものでもなく、特定筋肉の酷使はないのが外来看護業務の特色である。

(三) 小児科外来勤務よりも外科病棟勤務の方が厳しい。

原告は昭和四八年九月まで外科病棟勤務であったが、同勤務は八時間ずつの三交替制で夜間勤務もあり(小児科外来になってからは、夜勤は一か月に二日ないし三日である。)、書字作業も看護日誌、病棟日誌、体温一覧表、カーデックス(注射、検査処置簿)、検査伝票、注射伝票、処置伝票その他諸伝票等の記入等、書字量は小児科外来よりはるかに多く、結局、仮に原告が疲労するようになったとしても、それは病院勤務と夜間通学を兼ねたためと考えられる。

(四) また、原告が大学に通学していて講義をノートしていたとすれば、この書字作業は小児科外来の書字作業量に比べてはるかに大量のはずである。

(五) 労災保険給付不支給決定の存在

原告が、向島労働基準監督署に対し、「労災保険給付申請(業務上認定)」を申立てたのに対し、同基準監督署長は、昭和五〇年九月二二日、原告の「疾病は、労働基準法施行規則三五条三八号に定める業務に起因することの明らかな疾病とは認められない」旨の決定をしている。

(六) 被告に就職した後の原告の健康状況及び原告主張のような「肩のこり」、「首の痛み」、「腕のだるさ」等を訴えた時期について

原告は外科病棟勤務時(昭和四七年四月から同四八年九月まで)は健康状態に異状はなかった旨主張するが(請求の原因3(一)(2)(イ))、原告は右勤務中「胃炎」「腎炎」「下痢」等の病気になり、ことに同四七年一二月二五日から翌四八年一月五日まで「急性大腸炎」の病名で入院している。また原告は、同年一〇月より小児科外来に勤務後も腹痛等を訴えて何回も医師の診療を受けているが、この間原告主張のような「肩のこり」、「首の痛み」、「腕のだるさ」等は訴えていない。そして原告は、同四九年一〇月二二日、同年九月末より右上肢がだるい旨訴えて、青戸分院の医師の診療を受けている。

(賃金、慰謝料請求について)

仮に、原告の疾病が業務上のものであるとしても、被告が原告を復職させなかったことについては、次のような正当な理由がある。

1 規則二四条但書には、療養休職者の復職の場合には、被告の衛生管理医の診断を必要とする旨の定めがある。

2 原告は、昭和五〇年九月、リハビリ復帰を申し出たので、被告は右規則に基づき、原告に対し、被告の衛生管理医の診断を受けるよう指示したが、原告はこの診断を受けなかった。

3 このように、原告は正規の手続をとらなかったのであるから、被告としては原告の復職を認めることができないのはやむを得ない。

四  被告の主張に対する原告の認否

(地位確認請求について)

1 被告の主張1及び2(一)、(二)の事実は認める。

2(一)(1)(イ)(ⅰ) 同3(一)(1)(イ)(ⅰ)の事実中、処方箋に患者氏名等を記入するのは受付の仕事であることは認め、その余は否認する。ただし、麻薬・慢性疾患の場合は、診察室の看護職が処方箋の記入を行う。

(ⅱ) 同(ⅱ)の事実中、検査依頼伝票の記入業務が診察室の看護婦の仕事であること、記入内容が被告主張のとおりであることは認め、作成枚数は争う。

(ⅲ) 同(ⅲ)の事実につき、被告主張のほかに生年月日を記入する。

(ⅳ) 同(ⅳ)の事実中、二号用紙の作業が主として午後の作業であること、受診年月日の記入がゴム印でなされることは否認する。

(ⅴ) 同(ⅴ)の事実は否認する。

(ロ) 同3(一)(1)(ロ)の事実中、月末作業が二号用紙への病名記入だけであるとの点及び月末作業を五人で行うことは否認し、病名記入の約半分はゴム印の捺印作業であるとの点は認める。月末の作業としては、二号用紙への病名転記とともにカルテへの病名記入がある。

(2)(イ) 同3(一)(2)(イ)の事実中、カルテの出し入れを原告が殆んど行わないとの点は否認する。

(ロ) 同3(一)(2)(ロ)の事実中、診察介助の内容については概ね認める。

(ハ) 同3(一)(2)(ハ)の事実は否認する。

(ニ) 同3(一)(2)(ニ)の事実中、原告が脱衣着衣の手伝いをすることは認める。

(ホ) 同3(一)(2)(ホ)の事実中、貼付作業を全員で行っていたとの点は否認する。これは原告か山口が行っていた。

(ヘ) 同3(一)(2)(ヘ)及び(ト)の事実は認める。

(二) 同3(二)の事実中、昭和五〇年二月五日付通達(基発第五九号)の解説として、被告主張の趣旨の記載があることは認め、原告の小児科外来における作業については争う。

(三) 同3(三)の事実中、原告が昭和四八年九月まで外科病棟勤務であったこと、同勤務は八時間ずつの交替制で夜間勤務もあること、外科病棟勤務の書字作業として、病棟日誌、体温一覧表、注射伝票、処置伝票があることは認め、その余の事実は否認する。

(四) 同3(四)につき、講義をノートするとしても、机を前にして正しい姿勢で余裕をもって筆記するので、小児科外来の業務とは全く異質である。

(五) 同3(五)の事実は認める。

(六) 同3(六)の事実中、外科病棟勤務時の病歴及び小児科外来勤務後の症状については、腎炎を除き認める。原告が「肩のいたみ」「こり」「腕のだるさ」を被告に訴えたのは昭和四九年九月ころである。

(賃金、慰謝料請求について)

1 被告の主張1の事実は認める。

2 同2の事実中、リハビリ復帰を申し出たのが昭和五〇年九月であることは否認し、その余の事実は認める。右申し出は、同年七月末ころ行った。

3 同3は争う。

五  原告の反論(賃金、慰謝料請求について)

1  原告は、規則二四条但書に該当しない。

規則二四条但書は、同二一条(療養休職)による休職者の復職につき衛生管理医の診断を必要としているが、同条の休職者には業務上傷病による休職者は含まれない。なぜなら、規則二一条、同二三条二項、同二八条をみるとき、同二一条の療養休職取扱い及び同二三条二項の療養休職期間の規定は、同二八条五号の存在によってのみ意味をもつ規定であり、業務上傷病につき療養休職取扱い及び療養休職期間を定めることは全く意味をなさないからである。そして、原告の疾病は業務上のものである。

2  仮に、1が認められないとしても、原告は規則二四条但書の衛生管理医の診断に代わる医師の診断を受けている。

すなわち、仮に、同条但書が業務上の疾病による休職後の復職についても適用されるとしても、同但書は、労働者の安全と健康を確保するために、傷病者の就業を制限し、復職の可能性につき専門家である医師にその判断を委ねるという趣旨の規定であるから、被告の指定する衛生管理医の診断によるのでなければ復職が認められないと解するのではなく、衛生管理医又はこれに代わりうる医師の診断があればよいと解するのが相当である。そして、原告は、主治医である吉田利男医師から昭和五〇年七月、半日程度の復職可能と診断され、同年一二月には被告に対し、同医師作成の「訓練的就労についての意見書」を提出した。

3  仮に、1及び2が認められないとしても、原告が被告の衛生管理医の診断を受けなかったことにつき、次のような事情がある。

(一) 原告が衛生管理医の診断を受けなかった理由は、原告は昭和五〇年七月二三日付の吉田医師の診断書に基づき、被告に対し、段階的就労復帰を要求したが、被告はまず衛生管理医の診断を受けることを求め、原告が被告に対し、「主治医の意見を尊重してもらえるということがわかれば(衛生管理医に)かかります。」と述べたのに対し、被告はあくまでも無条件で衛生管理医の診断を受けることにこだわり、後に主治医の意見書が提出されてもこれを尊重しなかったからである。

患者(原告)が、業務上疾病が軽減したことにより就労復帰するに際し、使用者である被告の指定する衛生管理医の診断に不安をもち、その受診に先立ち経過を熟知している主治医の判断を尊重するよう使用者に求めるのはあまりにも当然のことであり、右申し出を受け入れなかった被告こそ責められるべきである。

(二) 被告の衛生管理医は、当時青戸分院内科医長であった大沢医師であり、かつ、被告は一貫して原告の疾病を業務に起因する頸肩腕症候群とは認めていないのであるから、右内科医長が公正かつ正当に復職及び職務内容を判断することは全く期待できない。

(三) したがって、このような特別な事情のもとでは、衛生管理医の診断を受けなかったので原告の復職を認めなかったという被告の主張は全く不当である。

六  原告の反論に対する被告の認否

1  原告の反論1の事実中、規則二四条但書が、同二一条による休職者の復職につき衛生管理医の診断を必要とする旨を定めていることは認め、その余の事実は否認する。

規則二一条、同二四条は、業務外の傷病の場合のみに関する規定ではない。

2  同2の事実中、吉田医師がリハビリ復帰の指示をしたこと、原告は被告に対し、昭和五〇年一二月に同医師作成の意見書を提出したことは認め、その余は否認する。

ただし、右意見書は原告から治療のためのリハビリテーションを必要とする判断の材料として提出を受けたものである。

3(一)  同3(一)の事実中、原告がリハビリ復帰の要求をしたこと、被告は衛生管理医の診断を受けるように指示したこと、これに対し原告は「主治医の意見を尊重してもらえるということがわかればかかります」等と注文をつけたことは認め、その余の事実は否認する。

(二) 同3(二)の事実中、当時、被告の衛生管理医は青戸分院の大沢内科医長であること、被告は原告の疾病を業務に起因する頸肩腕症候群であると認めていないことは認め、その余の事実は否認する。

衛生管理医が内科医であっても、必要がある場合は専門科(整形外科)で精密な診断を受ければよいから、診断不要との原告の主張は誤りである。

(三) 同3(三)は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  原告の経歴

原告(昭和二九年二月一〇日生)は、同四七年三月○○女子高校を卒業後、同年四月、被告の経営する青戸分院の准看護婦として雇用され、同時に、同分院外科病棟に配属されたこと、その後同四八年一〇月同分院小児科外来に配転され、以来同外来でその業務に従事していたこと、同四九年一〇月二五日以降、疾病(以下「本件疾病」という。)の療養のため休業したこと、被告は同五一年一一月一日付で原告を一般退職にしたこと(以下「本件退職」という。)は、いずれも当事者間に争いがない。

二  原告の疾病の発症と経過

1  診察を受けるまでの経過

《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告は、昭和四八年一二月、肩、腕に異常を感じ、その症状は「ちょっと手がだるい、肩こりがする」というものだった。その時は特に医師の診察を受けておらず、同僚から肩をもんでもらったりしていた。

(二)  次に、新しい症状が出てきたのは、同四九年五月で、その症状は「手先に力がはいらない、ボールペンが落ちる」というものだった。その時も医師の診察は受けておらず、自分で特に治療を行ったこともなかった。

(三)  同年一〇月、仕事ができない状態となった。その症状は「字を書くと肘のところがキリキリ痛み出す、ボールペンを長く持っていられない、電話の受話器を長く持てない、風呂おけが上に上げられない」というものだった。

2  青戸分院整形外科における原告に対する診断及び治療

《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告は、昭和四九年一〇月二二日、本件疾病に関して初めて医師の診察を受けたが、青戸分院整形外科の神崎医師に対し、主訴として右上肢がだるくなる旨訴え、右症状は同年九月末から始まったこと、特に原因はないこと、しびれはないこと、手に力が入いらないこと、時々頭痛があること、視力が最近おちていること、字を書くのがつらい(一〇分しか書けない)等を訴えている。その時の現症としては、カルテに「頸椎の圧痛、叩打痛各(-)、PM圧痛(-)、頸部筋に緊張はない、ジャクソンテスト、ハルステットテスト各(-)、アドソンテスト(±)、右尺骨部に知覚過敏、右膝蓋骨反射(-)」との記載がある。

(二)  同月二四日、原告は同分院同科の富田医師の診察を受けているが、カルテには「右上腕骨橈側上顆の圧痛、肘関節九〇度屈曲位、手関節背屈曲位にて力を入れると右上顆に疼痛ありと」と記載されており、「右上腕骨橈側上顆周囲炎」と診断され、「約三週間の休業、通院加療の必要があるみこみ」との診断書が出された。

(三)  同月二五日、原告は前記富田医師の診察を受け、カルテには「右橈骨上顆に圧痛(+)、手関節背屈にて力を入れると右橈骨上顆に疼痛あり、右上肢全体がだるいという」等の記載があり、治療としては超短波と弾力包帯、それにプロクターゼ、オピリン、ビタメデンが一日三回の七日分が投薬されている。

(四)  同月二六日、二八日から三〇日、原告は超短波による治療を受けている。

(五)  同月三一日、原告は富田医師の診察を受け、カルテには「右上腕骨橈骨上顆部圧痛」との記載があり、前回と同様の投薬が行われている。

(六)  同年一一月一日、二日、五日、六日、原告は超短波による治療を受けている。

(七)  同月七日、原告は富田医師の診察を受け、カルテには「右肘部疼痛なお(+)と。肘関節は強く屈曲し、抵抗を加えると痛むと。伸展ではさほど痛まないと。手関節を六〇度背屈し、肘関節を九〇度屈曲すると上顆部に疼痛と。上腕骨橈骨上顆に圧痛、過敏(-)、しびれないと。右頸部、頸椎二~三の部に圧痛ありと。頸椎運動可良、運動制限(-)、ジャクソン(-)、疼痛(-)、反射正常」との記載があり、前回と同様の投薬が行われている。

(八)  同月八日、九日、一一日から一三日、原告は超短波による治療を受けている。

(九)  同月一四日、原告は同分院同科の吉田宗彦医師(以下「青戸、吉田医師」という。)の診察を受け、カルテには「現在頸の障害は軽減す。右肘関節の形の異常(-)、運動平滑、幾分運動雑音、橈骨頭圧痛、局所炎症症状(-)」等の記載があり、「右上腕骨橈側上顆周囲炎」の病名で、さらに二週間の休業、通院加療を要する旨の診断書が出された。

(一〇)  同月一五日、一六日、一八日、一九日、原告は超短波による治療を受けている。

(一一)  同月二一日、原告は富田医師の診察を受け、カルテには「橈骨上顆の圧痛、疼痛はだんだんとれてきているという。右肘関節九〇度屈曲、右手関節五〇度背屈の位置で上顆部に圧痛」との記載があり、治療としては超短波によるものとオルガドロンと一パーセントキシロカイン各〇・五ミリリットルが投与されている。

(一二)  同月二五日から二七日まで、原告は超短波による治療を受けている。

(一三)  同月二八日、原告は青戸、吉田医師の診察を受け、カルテには「ステロイド注射で不眠の由、右肘関節疼痛なおあり、橈骨頭圧痛あり。右背部疼痛、第七胸椎叩打痛、局所炎症症状(-)」等の記載があり、処方としてはモビラートと弾力包帯、それに投薬としてシナミンとスパントールが一日三回の七日分が出されている。また同月二九日付で前記病名でさらに二週間の休業、通院加療を要する旨の診断書が出されている。

(一四)  同月二九日、原告は超短波による治療を受けている。

(一五)  同月三〇日、原告は診察を受け、カルテには「腰部しびれ感、右腰関節幾分緊張感あり、特にラセギーはない。右ファバー症状、PSR正常、過敏(-)。胸痛及び右腰障害は肘関節障害と直接に関連はない」等の記載があり、超短波による治療を行っている。

(一六)  同年一二月三日、四日、六日、原告は超短波による治療を受けている。

(一七)  同月六日、原告は青戸、吉田医師の診察を受け、カルテには「寒いためか右前腕しびれ感が強い。睡眠はそう良くない」との記載があり、モビラートが投与され、シナミンとスパントールが前回と同様七日間分投薬が行われている。

(一八)  同月七日、九日、一一日、一三日、原告は超短波による治療を受けている。

(一九)  同月一二日、原告は青戸、吉田医師の診察を受け、カルテには「幾分疼痛は軽減。夜と朝の痛みは訴える、特に肘関節に。運動は平滑。軽度の循環障害はつくっている。夜の背部痛。睡眠障害あり。」との記載があり、シナミンとスパントールが前回と同様投薬されている。また、同月一三日付で、さらに二週間の休業、通院加療を要する旨の診断書が出されている。

(二〇)  同月一九日、原告は青戸、吉田医師の診察を受けているが、カルテには「睡眠障害は幾分軽度。右前膊倦怠感。肘関節受動運動疼痛(-)。頸肩腕症候群と関連があるかどうか不明」との記載があり、処方としては、モビラートが投与され、シノミンとスパントールも前回と同様に投薬されている。

(二一)  同月二六日、原告は青戸、吉田医師の診察を受け、カルテには「日常悩むことはだるい感じの由。運動平滑。薬物治療だけでは改善せず」との記載があり、シナミンとスパントールが一日三回で一四日分投薬されている。なお、同月二七日付でさらに二週間の休業、通院加療を要する旨の診断書が出されている。

(二二)  同五〇年一月九日、原告は青戸、吉田医師の診察を受け、カルテには「年賀状の返事は続けて二通まで。背部痛はない。」との記載があり、同月一〇日付でさらに二週間の休業、通院加療を要する旨の診断書が出されている。

(二三)  同月二三日、原告は青戸、吉田医師の診察を受け、カルテには「米をとぐと水が冷たく指の痛みが増加する。右前腕の局所の炎症症状(-)、肘関節運動平滑、筋力は弱い」との記載があり、モビラートが投与され、シナミンとスパントールが一日三回で一四日分投薬されている。なお、同月二四日付でさらに二週間の休業通院加療を要する旨の診断書が出されている。

(二四)  同年二月六日、原告は青戸、吉田医師の診察を受け、カルテには「握力右二〇、左二一。現在一〇〇〇字可能」との記載がある。

(二五)  その後原告は同五三年一〇月末まで青戸分院に通院していた。

3  東京大学医学部附属病院物療内科における原告に対する診断及び治療

《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告は、昭和四九年一二月一七日、初めて東京大学医学部附属病院物療内科の吉田利男医師(以下「東大、吉田医師」という。)の診察を受けたが、同医師に対し、主訴として右肘から手先にかけての疼痛、右腕のだるさ、肩、首のこりを訴え、カルテの現病歴欄には「昭和四九年九月末、右の手がだるくなり、肘の部分に疼痛。一〇月二六日より休業して痛みが軽くなったが、夜痛むため睡眠障害あり。」との記載があり、現症欄には「右僧帽筋、肩甲拳筋などの肩の筋肉がこって強い圧痛がある。そこに痛覚の過敏がある。右肘の部分は筋肉の付着部に圧痛がある。しかし上顆だけではない。大後頭神経の痛みがある。右の橈骨神経伸展試験(+)。知覚障害――軽い右の半身痛覚鈍麻(?)。あちこちで、右は知覚過敏(?)。右のそ大力が減弱している。握力――右一四キログラム、左二七キログラム、足にやや圧痛あり。」(以下握力についてはキログラムを省略し、数字のみを記載する。)との記載があり、処方としてトフラニール一〇ミリグラム、ネルボン一錠が一日一回の七日分が投薬されている。

また、原告は「頸腕症候群予診カード」の勤務内容の主な作業としてボールペン複写とカード整理に○印をつけ、副作業として「子どもの体をかかえたり、採血時に子どもを力一杯押さえる」と記入し、一日の作業量として「ボールペン複写三〇枚、会計用紙書き上げ五〇枚――午前中は中腰で書きっぱなし」と記入し、発病前の健康度についてはかぜひきやすいというところに○印をつけ、病気の経過の欄では、「休みに入ってから七週間。痛みはやや和らぐ。日常生活に特に支障なし。夜になると痛みがあり、朝の四~五時まで眠れない。」と記入し、日常生活の不便、苦痛についての調査では、いつも感じていることとして、電話の受話器を持ち続けるとつらい(右手)、長く続けて字を書くとつらい、天気の悪い日はからだの具合がよくない、冷えるとつらい、ねつきが悪い、眠りが浅い、ねおきが悪い、自由な時間はできるだけ横になりたい、からだの具合がよくないのでゆううつである、という箇所に印をつけている。

(二)  同月二四日、原告は東大、吉田医師の診察を受け、カルテには「エックス線――首は生理的な前彎が減弱していて、頸椎第四、五間を中心として軽い後彎がある。肘は異常ない。検査データ異常なし。睡眠良好。右の橈骨伸展(-)。知覚――右の橈側側、肩を最高にして右上半身の知覚低下がある(知覚過敏はない)。右の僧帽筋など肩がこって圧痛(+)、右腕、特に橈側側に圧痛がある(+)。握力右一六、左二四」との記載があり、処方として、トフラニール一〇ミリグラムが一日一回の一四日分が投薬されている。なお、同日付で原告の本件疾病は「頸腕症候群」であり、「業務上の起因が強くうたがわれるのでひきつゞき休業加療一ヶ月間を必要とみとめる」との診断書が出されている。

(三)  昭和五〇年一月二八日、原告は同医師の診察を受け、カルテには「背中の痛みがとれて肩甲かん部の痛みも軽くなった。全身の倦怠感はとれない。水につけると第二指、第三指はビリビリする痛みがある。書字八〇〇字くらいでだるくなる。睡眠は良い。右手はまだ知覚鈍麻があり、肩はそれほどこっていないが、右の僧帽筋、肩甲拳筋、肩甲かん部の筋に圧痛があり、棘上筋に圧痛が(+)。右の腕頭筋、橈側手根伸筋に圧痛(+)。握力右二一、左二六」との記載があり、体操、休養一か月の診断がなされている。

(四)  同年二月二六日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「雪の日には、全身倦怠感ないし痛み。不安感強く、考えごとのあとに首が痛む。右のハンドバレー(?)。右上半身の知覚鈍麻、右の首、肩、肩甲かん部の筋がこって圧痛がある。入眠障害。握力右一五、左二二」との記載があり、処方としてトフラニール二〇ミリグラムが一日二回の一四日分の投薬と増量されている。

(五)  同年三月二五日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「右の首の痛み、肩の痛み、負荷がかかったとき腕の痛み。右肩及び尺側大腱の外側に知覚鈍麻。右の僧帽筋、肩甲拳筋、棘下筋、大円筋、頸部の筋、大胸筋、前鋸筋がはって圧痛がある。右のハンドバレーテスト(+)。右の片足起立――ヘタ、アドソン(-)、伸展テスト(-)、右の正中神経伸展テスト(±)、握力右八、左二二」との記載があり、処方として前回同様トフラニール二〇ミリグラムが一日二回の一四日分投薬されており、三か月の休養を要する旨の診断書が出されている。

(六)  同年四月三〇日、原告は同医師の診察を受け、カルテには「しばらくは調子良かったが、三日くらい前から、腕の疲れ、入眠障害、上半身が痛くて肩がこる。右のハンドバレーテスト(+)、右の半身知覚鈍麻(上半身)、手紙書き三枚が限度、天候のためかイライラしている。握力右一一・五、左二〇」との記載があり、処方として前回同様トフラニールが一四日分投薬されている。

(七)  同年五月二八日、原告は同医師の診察を受け、カルテには「家事など負荷にて右の前腕の力が抜け、だるくなる。右の首の痛みが続く。不眠の翌日、天候、手の負荷の後など増強する。足はやや良くなった。睡眠障害は時々。右のハンドバレーテスト(+)。右の上半身知覚鈍麻。右の首、僧帽筋、肩甲拳筋、棘下筋、肩甲かん部の筋、前鋸筋が緊張し、圧痛がある。反射は異常ない。握力右一六、左二八」との記載があり、処方として前回同様トフラニールが一四日分投薬されている。

(八)  同年六月二五日、原告は同医師の診察を受け、カルテには「しびれ感。映画(冷房つき)一時間で肩がこり、頭痛、つらい。右に強く左もある。肩、背中の筋のこりと圧痛。ハンドバレー(±)。右の半身知覚障害、右上半身(?)。マッサージは効果あり。握力右一五、左二八」との記載があり、処方として前回同様トフラニール一四日分が投薬されており、一か月の休養を要する旨の診断書が出されている。

(九)  同年七月二三日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「一〇日くらい田舎に行った。肩硬くなった。腕の痛み(-)、右の上半身――肩を最高にして知覚鈍麻がある。右の肩、首、肩甲かん部がこって圧痛がある。右のハンドバレー(±)。握力右一六、左一八」との記載がある。なお、半勤一か月の診断書が出されている。

(一〇)  同年八月二〇日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「それまで具合良かったが、八月一〇日から尿意頻数、腹痛、血尿で、復帰訓練進まず。肩こりが増強。ハンドバレー(-)、知覚異常なし。泌尿器科が良くなってから出直し。握力右一七→一九、左三〇」との記載がある。

(一一)  同年九月一七日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「血尿軽くなった。労災申請行動で疲れ、体操もせず。一日泳いだら痛みが増強。右の橈側に軽い知覚鈍麻。右のハンドバレー(+)、右の僧帽筋、肩甲かん部の筋、せきついほう筋、軽くこって圧痛がある。握力右二〇、左二九」との記載がある。

(一二)  同年一〇月一五日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「九月末から睡眠障害。寝起きも悪い。上肢の痛み――料理で手がしびれる。水泳は以後できず。ハンドバレー(-)、知覚異常なし。右の僧帽筋、肩甲かん部、せきついに圧痛。握力右一九、左二九」との記載がある。

(一三)  同年一一月一二日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「睡眠障害、肩こり、首の痛み。腕の痛みはない。全身倦怠感、知覚異常なし。ハンドバレー(-)、右の僧帽筋、肩甲かん部、背ついほう筋に軽いこりと圧痛。握力右二〇、左二三」との記載がある。

(一四)  同年一二月一日付で同医師は原告の就労についての意見書を出している。

(一五)  同月一七日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「朝起きられず、外出すると、肩のこりが増強。コタツの中にうずくまっている。外出すると翌日ぐったり。頭が重い。右肩、肩甲かん部の筋が硬く圧痛がある。知覚異常なし。ハンドバレー(-)。握力右一九、左二七」との記載がある。

(一六)  同五一年一月一四日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「やや良くなった。まだ疲れやすい、こりやすい。二~三日に一回睡眠障害。ハンドバレー(-)、反射は正常、軽度の亢進。知覚鈍麻――右の橈側のみ。右肩、背中がこって圧痛がある。握力右二三、左二五」との記載がある。

(一七)  同年二月一八日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「鈍い背中の痛みが一〇日前から続いている。睡眠は良くて、むしろ眠りすぎるくらい。冷たい水に過敏。右の胸椎の第一番目から出る神経に、たい状疱疹か皮膚の発疹があり、知覚が過敏である。右と左、右がかなり強く、肩、肩甲かん部の筋がこって圧痛がある。後の首――尺骨上部、腋窩後方のリンパ節がアヅキ大にはれていて圧痛がある。肺は異常ない。握力右二〇、左二五」との記載がある。

(一八)  同年三月一七日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「たい状疱疹消失、知覚過敏軽減。肩が硬く、首に鈍い痛み。下痢(神経性)が続いている。首の筋肉が軽くこっていて、その他はそれほどでもなし。知覚鈍麻はない。握力右二一、左二三」との記載がある。

(一九)  同年四月一四日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「こりやすい。睡眠障害(+)。消化管の訴え軽減。空腹時に手が震える(右手)。半身正常。握力右一八、左二二」との記載があり、三か月休養(制限勤務不能のため)を要する旨の診断書が出されている。

(二〇)  同年五月一九日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「頭痛、上半身の体が疲れた感じ。吐き気ときどき。後頭部に重苦しい感じ。右手に知覚鈍麻。睡眠障害。首、右肩、背中の筋がこって圧痛がある。サーモグラフィをやった。」との記載がある。

(二一)  同年六月一六日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「首がこってマッサージはそれほどきかない。睡眠はそれほど良くない。筋肉はそれほど硬くない。それほど圧痛もない。握力右二〇、左二四」との記載がある。

(二二)  同年七月一四日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「首がこって肩もまたそうである。睡眠はしばしば障害される。首の筋肉がこって、肩、背中はそうでもない。握力右二〇、左二一」との記載がある。

(二三)  同年八月二五日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「二週間田舎に帰ってきた。この間は良かった。列車のクーラーで疲れた。書類一〇枚ボールペンで書いて首が硬く、肩甲かん部に痛みが出てきた。反射は、右の上腕二頭筋がやや低下。橈骨筋がやや低下。肩、背中の筋が硬く圧痛がある。握力右二〇、左二四」との記載がある。

(二四)  同年九月二九日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「首のこりがとれず、一週間前から腰のこりないし痛みがあり、プロカインのブロックをやったところ、一時間だけ効いた。きょうは、左の腕の痛み、臀部、腰に鈍い痛みがある。左が強く、右も脊椎ほう筋がこって痛みがある。握力右二二、左二〇」との記載がある。

(二五)  同年一〇月二七日、原告は同医師の診察を受けているが、カルテには「腰痛体操とホットパックで腰部の痛みは軽減した。昨日から冷え込みのためまた出てきた。首のこりは続いている。右の肩甲拳筋、肩甲かん部及び臀部の筋力が硬く、圧痛があり、こっている。上腕二頭筋反射は左右同じで、通常よりやや強い。知覚はそれほど冒されていない。握力右左とも二五」との記載がある。

(二六)  前記認定のとおり、同医師は原告の本件疾病の治療のためにトフラニールを処方しているが、その目的は逆説睡眠層を調整して寝つきをよくする、すなわち寝つきが悪くて寝おきが悪いという形の不眠症を治療することにあった。

(二七)  トフラニールの説明書には、トフラニールは主としてうつ病、うつ状態の中核を形成する気分の変調を正常化する作用をもち、さらに、抑制や不安を緩解する効果を有しており、広い範囲のうつ病、うつ状態に使用することができる旨の記載があり、その用法、用量については、うつ病、うつ状態治療の場合、通常成人一日二五ないし七五ミリグラムを初期用量とし、一日二〇〇ミリグラムまで漸増し分割経口投与する、まれに三〇〇ミリグラムまで増量することもある、との記載がある。

3  柳原病院における原告に対する診断

《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ、右事実を覆すに足りる証拠はない。

原告は、本件疾病の診断を求めるために柳原病院に行ったが、同病院の井上茂医師は昭和五〇年一月八日付で、本件疾病の病名を「頸肩腕症候群」と診断し、同日付の診断書には「右頸部より右前腕部にかけての疼痛を訴え、業務内容(カルテの出し入れ、カーボン紙の使用)等より見て業務に起因すると思われる。なおむこう一か月の安静加療を要すると思われる。」との記載がなされている。

4  その後の原告の経過

《証拠省略》を総合すれば、

(一)  原告は昭和五三年一二月末まで東大物療内科で治療を受けたこと、同五六年一月時点では医者にはかかっておらず、ハリを月に一、二回打ってもらっていること、同時点では腕は殆んど良く、頸、肩は疲れるとこわばってくるという慢性症状にあること、

(二)  本件退職後に従事した仕事としては、同五二年二月か三月に診療所に看護婦として約一か月、同年夏に麻雀屋に約一か月、同五三年初めから病院に勤め、同五六年一月現在同病院で手が足りない時の応援の形で仕事をしていること、

(三)  同五二年末までは、前記のような一時的な仕事にも従事していたものの、ほぼ本件疾病の治療に専念していたこと

が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  原告の業務内容と業務量

1  小児科外来の人員

(一)  原告が小児科外来に配属された昭和四八年一〇月当時の同外来の人員は、医師二名、主任看護婦坂井志づ子、看護婦西谷よし子、准看護婦山口喜美子及び原告、看護助手丸川綾子、看護学生、パート事務員の合計九名であったことは当事者間に争いがない。

(二)  次に、同四八年一〇月から原告が休業するに至った同四九年一〇月二四日までの医師を除く人員の変化をみると、

(1) 前記七名のうち、同四八年一二月二五日ころから同四九年五月二五日ころまでパート事務員が欠員となったこと、同月七日から翌六月四日まで坂井主任が研修のため出張したこと、同年九月一三日から丸川が病欠したことは、いずれも当事者間に争いがなく、

(2) 《証拠省略》を総合すれば、仕事が特に忙しい時及び欠員が出た時は、疋田外来婦長が週一回くらいの割合で小児科外来に応援に来ていたこと、また特に坂井主任の研修中は、中央材料室、耳鼻科外来、手術室から応援に来ていたことが認められ(る。)《証拠判断省略》

2  医師を除く人員の仕事の分担について

(一)  勤務時間

《証拠省略》によれば、各人の勤務時間は、山口と丸川は午前八時から午後四時まで、西谷と原告は午前八時三〇分から午後四時三〇分まで、坂井主任は午前九時から午後五時までとされていたこと、これらの人の休憩時間は一時間とされていたこと、看護学生の勤務時間は午前八時から同一一時三〇分まで、パート事務員のそれは午前九時から午後一時までとされていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  仕事の分担

《証拠省略》によれば、原告と山口は診察介助、西谷は処置室担当、丸川、パート事務員及び看護学生は受付担当、坂井主任は全体を見て忙しい所を応援するという形がとられていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  《証拠省略》を総合すれば、小児科外来の受付時間は午前八時三〇分から同一一時三〇分までとなっていたこと、診察時間は同九時ころから午前中となっていたこと、しかし患者が多い場合には午後一時すぎころまでかかることもあったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  原告の具体的業務内容

(一)  診察開始前(午前八時三〇分から同九時ころまで)の業務

《証拠省略》を総合すれば、原告は主として受付でカルテ出しの手伝い又は診察室の準備をしていたこと、診察室の掃除(机の上を拭く程度)と器具(舌圧子入、トイレ)の消毒は主として原告よりも早く出勤していた丸川、山口又は看護学生が担当していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  診察中の業務

(1) 診察開始後は、原告は山口とともに診察室において立ったままで医師の診察の介助、検査用紙等への書字その他の作業を行っていたことは当事者間に争いがない。

(2) 《証拠省略》を総合すれば、診察の介助とは、待合室からあらかじめ呼びこんでおいて診察室の隣の長いすで待っている患者を診察室に呼び入れること、患者側が自分で脱衣できない時はそれを手伝ってやること、医師が口腔及び咽喉を見る場合に必要な患者については頭を固定すること、背中の方から診察する場合に必要な患者については回転いすを回転させること、腹部をベッドで診察する場合に歩けない患者又は付添人がない場合等必要な患者については、抱えてベッドに運ぶこと、患者が暴れる場合には必要に応じ頭とか手足を押えること等であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) 《証拠省略》を総合すれば、書字作業としては

(ア) 慢性疾患の患者に対する処方箋の記入作業として、患者の氏名、生年月日、保険の種別に○印をつけること

(イ) 通常の患者の処方箋については、添付諸票がある場合にその枚数を書きこむこと

(ウ) 検査依頼伝票については、男女の別及び必要な検査項目を○印でかこむこと、氏名、年令、検査関係の時間、担当医が自分で記入しない場合に同医師の姓をそれぞれ書きこむこと、なお、検査依頼日、小児科外来で依頼したことを表わすための「児」の文字及び該当個所の○印の記入は前日の午後に行っていること

(エ) エックス線依頼伝票については、氏名、生年月日、依頼日、撮影日、依頼医師名、撮影部位、方向を記入し、性別、保険の種別、外来を表わす個所に○印をつけること、

(オ) 二号用紙の記入作業は、診察介助の合間に時間があれば記入するようにさせていたこと、その内容は患者に投薬又は注射が行われた場合にその内容をカルテを見て書くというものであること

が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(4) 《証拠省略》を総合すれば、処置室における採血等の介助については、担当としては西谷が中心となっており、丸川が殆んど専門的に介助していたこと、診察介助担当の原告及び山口は、隣の手が足りない場合に手伝う程度であったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  診察終了後の業務

(1) いすに座って万年筆で新患名簿に記入する作業があること、エックス線袋書きとノート記入の作業があること、エックス線袋書きとは、患者ごとのエックス線フイルムを収納する紙袋の表にマジックインキで氏名を記入し、さらにエックス線番号、生年月日、撮影年月日、撮影部位、枚数を記入し、二回目以後の場合には撮影年月日、撮影部位、枚数を記入することであること、エックス線検査のノート記入とは、エックス線検査を記録するためにエックス線番号、氏名、生年月日、撮影年月日、部位を記入することであること、その他の業務として、翌日使用する伝票の押印や記入等の準備作業があることは、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 《証拠省略》によれば、二号用紙の記入は診察終了後に残ることがあったこと、したがって、診察終了後の業務の一部として二号用紙の記入作業もあったこと、新患名簿への記入は主として坂井主任が担当していたこと、検査用紙の切取り整理は原告と山口の担当となっていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(四)  月末作業

(1) 前記(一)ないし(三)の外来診察日の業務のほかに、月末の午後の作業として二号用紙の傷病名欄に病名を記入又は押印する作業がある(押印は全作業数の約半数)ことは当事者間に争いがない。

(2) 《証拠省略》を総合すれば、右(1)の作業のほかにカルテにも病名を記入又は押印する作業があること(押印は全作業の約半数)、右作業は坂井主任、西谷、山口及び原告の四人で月末の三日ないし五日くらいかけて行われたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(五)  当直について

《証拠省略》によれば、小児科外来勤務当時、原告は一か月に二回ないし三回の当直があったこと、当直の場合は午後五時から翌日午前八時三〇分までが当直時間で、当直明けの場合には午後一時までの勤務で終了となっていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  原告の業務量

(一)  原告が勤務した当時の小児科外来の患者数

《証拠省略》を総合すれば、原告が勤務していた当時の小児科外来の患者数は次のとおりであることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

年(昭和)月

延人数(人)

一日当りの

人数(人)

四八・一〇

二〇二一

八一

一一

二〇五一

八六

一二

二四八八

一〇〇

四九・一

一七三二

八二

一七六二

七七

二一五〇

八六

一九二八

七七

一九六二

八二

一八五八

七四

二一二二

七八

二〇〇一

七四

一九二四

八四

一〇

二四〇二

九六

(二)  外来処方箋枚数

《証拠省略》によれば、昭和四九年四月から同年一〇月までの小児科外来で作成した処方箋の枚数及び同年四月から同五〇年三月までの一日当りの平均枚数は次のとおりであることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

年月

延枚数

一日当りの枚数

四九・四

一五九二

六三・七

一六三四

六八・一

一五〇八

六〇・三

一七三九

六四・四

一六八五

六二・二

一六五二

七一・八

一〇

二〇七七

八三・一

昭和四九年四月から同五〇年三月までの平均では、一日当り七五・九枚

(三)  検査依頼伝票枚数

《証拠省略》を総合すれば、昭和五〇年六月三〇日(月)から同年七月五日(土)までの小児科外来で作成された検査依頼伝票の枚数は次のとおりであることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

月日 枚数

六・三〇 一一六

七・一 五四

二 七〇

三 二五

四  四二

五  三五

以上の平均 一日五七枚

(四) 放射線科エックス線診断依頼票枚数

《証拠省略》を総合すれば、小児科外来で作成されたエックス線診断依頼票の枚数は、昭和四九年九月が一日当り七・五枚、同五〇年五月が一日当り六・七枚であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(五) 二号用紙は投薬又は注射の処方がなされた場合に記載されるものであることは前認定のとおりであるから、その作成枚数はほぼ外来処方箋の枚数に対応していると認めるのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(六) 原告の具体的書字数

前記三3(一)ないし(四)及び同三4(一)ないし(五)で認定した事実並びに《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1)  通常の患者の処方箋

診察室で記入されるものは書類発行枚数欄の三個所程度であり、一日の平均処方箋の枚数は七五・九枚であること、この記載は原告と山口が中心でそれを坂井主任が手伝っていたこと、したがって、業務量を二・五人として計算すると、九一・一字(小数点第二位を四捨五入。以下の計算値も同様とする。)である。

(2)  慢性疾患の患者の処方箋

この場合の書字数は、一枚につき氏名一〇字、生年月日五字、保険の種別等の○印四個所で、一日に平均約一五枚書いているから、同じく二・五人として計算すると、数字又は文字が八八・五字、○が二四個となる。

(3)  検査依頼伝票

記入する文字又は数字の数は、氏名、年令、検査関係の時間、担当医師の姓で約一一字であること、記入する○印の数は多くても六個くらいであること、一日の平均記入枚数は約五七枚であること、したがって、二・五人として計算すると、文字又は数字の数は二五〇・八字、○が一三六・八個となる。

(4)  エックス線依頼伝票

記入する文字又は数字の数は、氏名、生年月日、依頼日、撮影日、依頼医師名、撮影部位、方向で約二二字となること、記入する○印の数は性別、保険の種別、外来を表わす個所で四個となること、一日の平均記入枚数は約七枚であること、したがって、二・五人として計算すると、文字又は数字の数は六一・六字、○が一一・二個となる。

(5)  二号用紙

二号用紙の記入は診察時間中には終わらないこと、記入については坂井主任も手伝っていたこと、処方が前回と同じ場合には「Rp―do」とのみ記載されるので、一枚の文字数は確定することが難しいこと、しかし、初診と再診の患者数が約一対四であること等を総合すると一枚の平均記入数は約二〇字であること、一日の記入枚数は約七五・九枚であること、したがって、二・五人として計算すると、六〇七・二字である。

(6)  エックス線袋書きとノート記入

記入する文字又は数字の数は、氏名、エックス線番号、生年月日、撮影年月日、撮影部位で各二二字、袋書きの作業ではその他に撮影枚数で一字及び○印が一個であること、一日の平均人数は七人であり、右作業は午後一時以降も勤務する五人全員で行われていたから、文字又は数字の数は六三字、○印は一・四個である。

(7)  検査依頼伝票の準備作業

記入する文字数は「児」の一字と○印が一個であること、検査依頼伝票の一日平均の使用枚数は約五七枚であるから、準備する枚数もほぼそれに対応していると認められること、右作業は原告を含む五人で行われていたから、記入文字数及び○印の数は各一一・四である。

(8)  月末作業

二号用紙の昭和四九年四月から同年一〇月までの各月の平均枚数は一六九八・一枚であること、同四八年一〇月から同四九年一〇月までの小児科外来の一か月当りの平均患者数は二〇三〇・八人であること、二号用紙への書字数としては病名の平均が八字であること、右作業は看護要員四名で行い、約半数はゴム印の押印作業であること、カルテへの病名記入作業の数は、初診の患者と再診の患者の割合が約一対四であること及び慢性疾患の患者数が一日平均約一五名あること等を考慮すると多くても二号用紙の記入作業の数を上回るものではないこと、右作業は月末の三日ないし五日くらいで行われたこと、したがって、一日当りの書字数は六七九・二字ないし一一三二・一字である。

(9)  右(1)ないし(8)を総合すれば、原告の書字量は、毎日の診察中に、文字又は数字が約一〇九九・二字、○印が約一七二個、診察終了後に、文字又は数字が約七四・四字、○印が約一二・八個、月末の午後の三日ないし五日くらいに、一日平均約六七九・二字ないし一一三二・一字である。

四  原告の作業環境及び作業姿勢

1  照明

前記三3(二)において認定のとおり、原告の診察中の業務の中心は、診察室において診察の介助をすることと検査依頼用紙等に記入することであり、《証拠省略》によれば診察室の一方は窓になっていること、同室において支障なく診察が行われていたことが認められるので、同室が診察及びその介助の業務に支障がある程度に薄暗いと評価するほどのことはないものと認めるのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  騒音

《証拠省略》を総合すれば、小児科という特殊性から他の科よりも騒音や泣き声があったことは窺われるが、前記三3(二)(2)において認定のとおり原告の業務としての呼びこみは、診察室、処置室の外の待合いすから呼び入れるのではなく、診察室の隣の長いすで待っている患者を呼び入れるものであるから、原告の呼び入れの声が聞きとれないほどの騒音や泣き声があったと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  広さ

《証拠省略》を総合すれば、診察室はそれほど広いとは認められないが、診察室には医師二名、介助の看護要員二ないし三名、患者二名、付添人がある場合には二名の合計八ないし九名がいるのが通常であったことが認められるから、そうすると足の踏み場もないと評価するほどの狭さではないものと認めるのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  患者に対する配慮

《証拠省略》によれば、小児科では満一五歳一一か月までの子どもを対象にしていること、右事情から患者の殆んどに付添人があること、したがって、他の科よりも多少気を使わなければならないことは窺われるものの、それが他の科に比べて非常に神経を使うものであると認めるのは相当ではなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

5  生理休暇

《証拠省略》を総合すれば、原告は小児科外来勤務中、昭和四八年一二月、同四九年二、三、五、七ないし一〇月は各一日、同年四月は二日間、いずれも生理休暇をとっていること、原告以外の小児科外来勤務者は原告が同外来在勤中生理休暇をとっていないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

6  昼休み

《証拠省略》を総合すれば、昼休みは一時間であること、しかし、多忙であるために看護要員全員が一斉に休憩をとるのではなく、交替でとっていたこと、特に忙しい場合には昼食だけ食べて職場に戻るという場合もあったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

7  作業の姿勢

(一)  診察介助時

前記四4において認定した事実並びに《証拠省略》を総合すれば、患者の多くは付添人があり、診察用のいすに座れない患者については付添人が膝の上にだき、原告らは咽喉等を診る際に頭を固定していたこと、この場合やや前傾するものの頭の固定にはそれほど力がいるものとは認められず、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  診察時の書字作業

《証拠省略》を総合すれば、原告の身長は一五〇センチメートルであること、診察時の書字作業は専用の机で座って書くのではなく、医師の机の端で書くこと、医師の机の高さは七四センチメートルであること、原告は処置台の上でも書いたことがあること、その台の高さは約六〇ないし七〇センチメートルだったこと、したがって診察時の書字作業はやや前傾中腰の姿勢で行ったこと、しかし、右書字作業は同一姿勢で長時間継続されるものではなく、診察介助の合間に診察介助と混合して行われるものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  処置への応援時

《証拠省略》を総合すれば、処置室のベッドの高さは五〇センチメートルであること、処置室で患者が暴れる場合には、診察室担当の原告及び山口も応援したことがあったこと、場合によっては力づくで押えつけることもあったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(四)  受付への応援時

診察開始前の午前八時三〇分から同九時ころまでの間に、診察室の準備を担当しない場合には原告が受付でカルテ出しを手伝ったことは前記三3(一)において認定のとおりであるが、《証拠省略》を総合すれば、カルテ棚の高さは最も高い所で約一八三センチメートルあったこと、カルテは半分くらいずつ分けて出し、多い場合には二、三回に分けて出して捜したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(五)  診察終了後の作業時

《証拠省略》によれば、診察終了後の作業時は、いす又はベッドに座って、各人の楽な姿勢で適宜作業を行っていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(六)  月末の作業時

《証拠省略》によれば、月末の二号用紙及びカルテへの病名記入作業時は、二人は机にむかって、他の二人はベッドを机にして立膝で行っていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

五  本件疾病と業務との因果関係

1  仕事外の原告の生活

(一)  大学への通学

《証拠省略》を総合すれば、原告は昭和四八年四月明治学院大学第二部社会学科に入学したこと、同年四月から一一月までは毎週月曜日から金曜日まで毎日通学していたこと、右大学での講義は午後六時から同八時五〇分まで五〇分ごとの三講座があったこと、原告は第二時限目に夕食をとることが多かったこと、原告は講義中はボールペンでノートをとっていたこと、同年一二月から翌四九年七月ころまでは週一回通学していたこと、同年九月に身体の調子が悪い等の理由で休学届を出したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  組合活動

《証拠省略》を総合すれば、原告は昼休み又は勤務後に週三時間くらい組合活動を行っていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告の既応歴

原告は外科病棟勤務時は全く健康であった旨主張するが、当事者間に争いのない事実と《証拠省略》を総合すれば、次のような既応歴があり、また小児科外来への配転後においても次のような既応歴があることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

外来・入院別

病名

診察日(昭和年月日)

病状

外来

胃炎

四七・六・二

吐き気、上腹部痛

同右

感冒

四七・八・二六

のどが痛い

入院

急性大腸炎

四七・一二・二〇外来で受診、一二・二五から四八・一・四まで入院

下痢、頻回の下痢が続く

内視鏡検査、直腸びらん

外来

腸炎

四八・一・一〇、一・一八、一・二五、二・一、二・七

下痢、吐き気、腹部膨満感あり

外来

急性腸炎

四八・八・七、八・九

右下腹部痛のため胆のう造影(異状なし)

(配転後)

外来

急性腸炎

四八・一〇・一一

下痢、腹痛

同右

感冒

四八・一〇、一六、一一・一五

咽頭痛

同右

胃炎

四八・一二・四、一二・五、一二・六、一二・一一

吐き気、腹痛、胃部撮影(異常なし)

同右

感冒

四八・一二・二五、四九・二・一

咳が出る

同右

遊走腎のうたがい

四九・四・一三

同右

賢炎、気管支炎

四九・五・一〇、五・一七

同右

潰瘍性大腸炎

四九・九・一一、九・一八

下痢、血液の混った便

3  外科病棟との仕事の比較

《証拠省略》を総合すれば

(一)  外科病棟の看護婦が担当する書字作業としては、病棟日誌、看護日誌、体温一覧表、検査伝票(医師の名前を書く((医師が書く場合もある))、内容は医師が記入する)、食事表、カーデックス一号紙への記入があること、回診の際、日誌に記載すべきことをメモすることもあること、右外科病棟の書字作業は、小児科外来のそれと比較して少ないということはないこと

(二)  外科病棟の勤務時間は、A勤(午前七時から午後三時)、B勤(午前八時から午後四時)、C勤(午前一〇時から午後六時)、D勤(午後四時から午前零時)、E勤(午前零時から同八時)の種類があること、原告の昭和四七年四月から同四八年九月までの外科病棟勤務中の勤務時間はA勤とE勤が殆んどであったこと、外科病棟勤務中の原告の夜勤回数は、D、E勤を含め一か月に九ないし一一回であったこと

(三)  病棟勤務は夜勤が多いので、外来勤務よりも厳しいと看護婦の間で一般に評価されていること(もっとも、証人山口喜美子は小児科外来よりも整形外科病棟の方が楽だった旨証言するが、小児科外来勤務当時、同証人は午前八時から午後四時の勤務終了後、慈恵高等看護学院で三ないし四時間講義を受けていたのに対し、整形外科病棟勤務時は、正看護婦として職務に専念していたこと等にも起因すると推認されるので、右証言をただちに採用することはできない。)

が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  仕事の波について

(一)  腎臓外来開設時

《証拠省略》によれば、小児科外来では昭和四八年一二月から約五か月間毎週水曜日に小児の中で腎疾患の患者を集中的に診察する日を設けたこと、その日の腎疾患の患者数は平均一〇ないし一五名であったこと、その日の診察担当医師は通常の二名から一名増加して、三名となり、三外来となったこと、その日の腎疾患の患者の診察介助は西谷又は坂井主任が担当したこと、その診察は約一時間以内で終了したことが認められ、そうすると、いわゆる腎臓外来が開設された時は診察の介助が三名になったことになり、原告と山口の診察介助への坂井主任の応援が多少減少したことが窺われるが、三外来の時間は約一時間くらいであり、また三外来を原告と山口の二人で診察の介助をするものでもないから、それほどの負担増ではなかったと認めるのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  年末年始

《証拠省略》を総合すれば、昭和四八年一二月二一日から翌四九年一月一〇日までの小児科外来の患者数は

(月日)

(人)

(月日)

(人)

一二・二一

一一五

一・<一>

二二

七九

<二>

<二三>

<三>

一〇

二四

一四五

<四>

二五

八〇

<五>

二六

一五八

<六>

二七

九五

一四七

二八

一二五

七五

二九

一五一

八九

<三〇>

一〇

六八

<三一>

一一

(< >は休診日をさす。)

となっており、一二月下旬で一日一〇〇名を越えた日が五日、一月下旬で一日一〇〇名を越えた日が一日あること、これは概ね休診日となる直前直後であること、昭和四八年一二月三〇日から翌四九年一月六日までの連続八日間、小児科外来は休診であったこと、原告が通学していた大学も年末年始は休みであったことが認められ、そうすると、年末の忙しさによる疲れも通常であれば、この年末年始の休暇で回復したものと推認するのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  いわゆるゴールデン・ウィーク

《証拠省略》を総合すれば、昭和四九年四月二四日から同年五月七日までの患者数は

(月日)

(人)

(月日)

(人)

四・二四

九二

五・<一>

二五

五三

一〇一

二六

九九

<三>

二七

七八

一〇八

<二八>

<五>

<二九>

<六>

三〇

一一八

九五

(< >は休診日をさす。)

となっており、四月三〇日、五月二日及び四日には患者数が一〇〇名を越えていること、しかし、原告はこの間四月二八日、二九日、五月一日、三日、五日及び六日と休暇であることが認められ、そうすると、患者数の増加に伴う疲れも殆んど回復したものと認めるのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

5  原告の職場の他の人の状況

当事者間に争いのない事実並びに《証拠省略》を総合すれば、

(一)  原告の業務の種類及び量とも最も類似していたのは山口であること、同人は仕事が忙しい時に右腕がだるくなったこともあったが、二、三日で回復し、別に診察は受けなかったこと

(二)  坂井主任は肩こりはしたことがあること、手が痛かったのは、腱鞘炎ではなくガングリオンであること

(三)  丸川は昭和四九年九月から病欠したこと、同人は受付が担当であること、同年五月に受付事務員が補充されてからは、同人はかなり処置室の仕事(採血の介助等)を担当していたこと、同人は同四九年一二月二四日東京大学物療内科及び同五〇年一月八日柳原病院で、それぞれ頸腕症候群と診断されたこと

(四)  慈恵医大労働組合青戸支部調査部のアンケート調査によれば、回答を提出したうちの看護職の六〇パーセントの人が肩こり、痛みを経験したことがあると回答しているが、アンケートの配布枚数が不明であること、肩こり、痛みはどの程度のものであるのかまでは調査されていないこと が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

6  休業補償給付不支給処分の存在

原告は向島労働基準監督署に対し、労災保険給付申請を行ったが、同基準監督署長は、昭和五〇年九月二二日、原告の疾病は労働基準法施行規則三五条三八号に定める業務に起因することの明らかな疾病とは認められない旨の決定を行っていることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すれば、右決定に基づく処分に対する審査請求及び再審査請求がいずれも棄却されていること、原告は右処分を争っていることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

7  結論

前記一ないし四及び五の1ないし6で認定・説示した点、とりわけ

(一)  原告の作業環境は、特に本件疾病の原因となるほど劣悪であるとはいえないこと

(二)  作業の内容及び態様も、一定の作業を一定の固定された姿勢を持続して繰り返し行うものではなく、診察の介助、その間に書字作業、また必要に応じ、隣室の受付、処置室にも移動するというもので、混合作業と評価すべきものであること

(三)  原告が特に問題としている書字量は、一般の事務作業に比較して特に多いとはいえないこと

(四)  かえって、原告が通学していた大学での講義の書字量の方が多いと推認されること

(五)  原告は小児科外来での業務により本件疾病になった旨主張するが、小児科外来の仕事が外科病棟の仕事よりも厳しいとはいいきれないこと、むしろ青戸分院では一般的には外来勤務の方が楽であるといわれていること

(六)  小児科外来の業務から離れても、長期間軽快しなかったこと、業務を離れてからは、肘の症状よりはむしろ頸を中心とした症状を呈していること

(七)  右症状を改善するために、東大・吉田医師はトフラニールの投薬を中心とした治療を行っていること、右トフラニールの投薬量が途中から増加されていること

(八)  原告は外科病棟勤務時は健康であった旨主張するが、前記五の2認定のとおりの既応歴があり、小児科外来勤務後も急性腸炎、感冒、胃炎、遊走腎の疑い、腎炎、気管支炎、潰瘍性大腸炎の病名で青戸分院で治療を受けており、特に本件疾病で病欠する前の月である昭和四九年九月には潰瘍性大腸炎にかかり、体力の低下が窺われること

(九)  原告の主張する繁忙期の疲労は、いずれも直前直後の休日によって回復したとみられること

(一〇)  小児科外来では看護助手の丸川が頸腕症候群と診断されているが、右疾病が業務に起因するかどうかはさておき、右丸川の業務と原告の業務は同一と評価できないこと

(一一)  原告がした労災保険給付申請につき、向島労働基準監督署長は本件疾病がその業務に起因することが明らかな疾病とは認められないとして不支給処分をなし、さらに原告がしたその審査請求、再審査請求のいずれも棄却されていること

等を総合すると、原告の本件疾病がその業務に起因しているものと認めることはできない。

ところで、前認定のとおり、東大・吉田医師及び柳原病院の井上医師は、本件疾病は業務上の疾病であると診断しているが、《証拠省略》を総合すれば、東大・吉田医師及び井上医師は青戸分院における原告の業務の実態調査をしていないこと、したがって、同医師らが本件疾病を業務上のものと判断した基礎としては、専ら原告が同医師らに告知した原告の業務内容及び態様、例えば原告が予診カードに「ボールペン複写三〇枚、会計用紙三〇枚――午前中は中腰で書きっぱなし」と記載したことが重要な要素を占めているものと推認されるが、前記三3及び同四7で認定したとおり原告の午前中の業務は中腰で書きっぱなしというようなものではないこと、東大・吉田医師は狭義の頸腕症候群(広義の頸腕症候群((首、肩、腕に痛みやはれなどの症状があるものを全部包含したものをさす。))から痛みやはれなどの理由や病名のはっきりするものを除いたものをさす。)は仕事と係りなく起きるということは極めて例外的なことであるとする見解に立っているが、この見解は現在における頸腕症候群の原因に関する見解の中では必ずしも多くの賛同を得ているとはいい難いこと及び東大・吉田医師自身、向島労働基準監督署の係員とのやりとりでは看護婦の頸腕症候群を聞いていないと述べていることが認められ、以上の事実を総合すれば本件疾病の業務起因性を肯定する同医師らの見解はたやすく採用できず、したがって、これに沿う《証拠省略》は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

よって、原告の本件疾病は業務上のものとは認められない。

六  そうすると、地位確認請求についての被告の主張1及び2(一)、(二)の事実はいずれも当事者間に争いがなく、かつ、本件疾病が業務上のものとは認められないこと前説示のとおりであるから、本件疾病は規則の業務外傷病に該当するものというべく、したがって、本件退職は有効なものであるから、原告の労働契約上の地位確認を求める請求は理由がなく、また、原告のその余の金員請求はいずれも本件疾病が業務上の疾病であることを前提とするものであるから、その余の判断をするまでもなく、いずれも理由がないといわなければならない。

七  結論

よって、その余の判断をするまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないから、これをすべて棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邊昭 裁判官 鈴木浩美 裁判官赤西芳文は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 渡邊昭)

<以下省略>

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